こういうブログを書く人は、皆さん自分が何かしらの声を聞けたり見えたりするのだと思うのですが、私は違います。
ほぼ見えないし聞こえません。
それでも身近に霊感の強い人、それを仕事にしている人が多いのと、『ももプロジェクト』をみなさんに公開する役割が回ってきたということで、自分の中で霊的かな?と思う部分を掘り起こしてみました。
いかに、いわゆる霊感が無い普通の人かがわかるかと思います。
未成年期
子供の頃から霊・オバケの類がキライ(怖いから)
私が子供だった頃は、幽霊やUFOの話題が多かった気がします。
テレビでよく見ました。
UFOは面白いなと思いましたが幽霊は怖くて決して見ませんでした。
トイレに行けなくなるからです。
3歳からお祈りを始める
ある時期、寝ると怖い夢ばかり見るので眠るのが怖くなって、母親に相談したことがありました。
その時母から「じゃあ神様にお祈りをしなさい。」と勧められました。
お祈りの仕方は、まず、一日の感謝をする、それから周りの人の明日の幸せを願う、最後に、「どうか怖い夢を見ませんように」と自分のお願いをする、というものでした。
3歳児には効果てきめんで、お祈りを始めたその日から、ぱったり怖い夢は見なくなりました。
お祈りは癖で今も必ず寝る前にしますが、もう入眠儀式化しているので、寝つきがとても良いです。
高校生の時まで「怖い夢を見ませんように」と祈っていましたが、これはもういらないと気付いてこのお願いはやめました。
大人になってから言われたのですが、このお祈りの仕方が、霊的作法?としてちゃんとしているらしく、幼少期から守護霊の方に仕込まれていたのだそうです。
母はキリスト教系の学校にずっと通っていたので、それを私に教えたのでしょう。
ちなみに、母にお祈りを教えてもらったことを話したら、全く覚えていませんでした。
幼稚園の頃、土手に向かって話していることが一部で有名になる
幼稚園児の頃、園の目の前にある土手に向かって、帰る時にしょっちゅう話していたそうです。
これ、当時を知る大人や同級生によく言われるのですが、自分では全く記憶にありません。
しかもどうでもいいことなのに何故こうもしつこく言われるのかと思っていたら、私の後ろにいる人(過去世)がその土手にいる精霊と話しているのだけれど、私が子供なので腹話術の人形のように口だけ動いてしまっていると、大人になってから、「見える」知り合いに指摘されました。
確かに口だけ動いていて声は出ていなかったようです。
しかし、そんなに精霊と話すことがあったのか謎です。
精霊見たかったし。
霊は見えない。見えた気がしても「気のせいだ」と無視
なぜって何しろ怖いからです。霊とか見えないものはいるのだろうと思ってはいましたが、自分とは関係のない世界のものだと信じていました。
実際見えた記憶はありません。
占いには興味があった。仕組みが気になっていた
当たる・当たらないではなく、なぜ今日のラッキー星座はかに座なのか、なぜ黄色い物を西に置くのか、根拠が気になっていました。
小学1年生の時からずっと通知表には「冷静で客観的」と書かれる
「冷静って何?客観的ってどういうこと?」と毎回親に聞いた覚えがあります。
小1には難解な言葉です。
全く霊的なことと関係ないようですが、この性格ゆえに「ももプロジェクト」を世に出す役割が回ってきたのだと思います。
私なら作業中に「上」の人たちの声も聞こえないし、淡々と読むだろうしちょうどいいと「上」が判断したのではないでしょうか。
よく金縛りにあった。しかし全部脳と身体のアンバランスのせいと割り切る
だって怖いからです。
実際脳だけが起きているとか言いますし。
一度だけ、金縛りの翌朝、謎のあざが身体に残っていたことがありました。
どうにかポジティブに考えて処理しました。
成年期
相変わらず金縛りによく合う。よく合うので脱し方を発見する
金縛りによく合っていると、「あ、来るな」というのがわかります。
あまりに合うので、もうこういう「プレイ」だと思い込むことにしました。
アイドルでも俳優さんでも、好きなアニメキャラでもいいのですが、例えば、愛しさのあまりこんなことをするのだなこの人は、などと妄想するとすぐに金縛りが解けることがわかりました(私はですが)。
何回かで、もう金縛りにすら合わなくなった気がします。
医学的に脱し方として正解ではないと思うのですがどうなのでしょう。
私の友人は「来たな」と思うと『森のくまさん』を心の中で歌うと言っていました。
こちらの方が健全な感じがします。
「0学占い」は当たっていると感じる
十代前半から、どうも毎年この月は調子が悪いと感じる月に気付き始めました。
反対に元気になる月もあります。
気候の好き嫌いかと思っていたのですが、ある時「0学占い」というものの年間グラフ(波形)が自分の調子の良し悪しと一致しているとわかりました。
私にとって初めての当たっている占いでした。
今はそうでもないです……。
霊が見えた気がしたら「気のせい」と思うのをやめる
昔住んでいた家に、しょっちゅう人が通る気がする場所がありました。
見えてはいない、感じるだけなのですが、性別や年齢も感じるし、一瞬のわりには格好もわかります。
そういうことが少し増えてきたのですが、「いやいや気のせい見えていない」と否定するのが面倒になったのです。
別にその話題を誰かとするわけでもなく、何か霊が見えていたとしても日常に影響がないので、「気のせい」と片付けてしまうことをやめました。
頭の中で「今のは錯覚だな。なぜならー」と理由をつけることはとても面倒くさい。
時間がかかるし頭を使う。
「あ、なんか見えた。」の方が早く片付きます。
これでいいやと思いました。
もしおぞましい見た目のものを感じていたら否定したでしょうけれど、普通のものしか見えなかったので助かりました。
今はほぼ見えないし全く気になりません。
ももさんをはじめ、色々な霊能者と出会う
「気のせい」と思うのをやめたとたん、それまで入ってこなかったスピリチュアル情報が入ってくるようになりました。
実は見える、という身内のカミングアウトや、細胞と話せる人を紹介するよ、だとか。
あの人陰陽師だから、というのもありました。
皆さん共通してとても普通の方々で、威圧感が全くないのが意外でした。
ももさんとも、人の紹介でこの時期に会いました。
私が職場で見ていた霊と全く同じものを友人も見ていて、見えているものが本当に霊体だったと分かったこともありました。
ただ、「見える、だから何だ」というスタンスに今も変わりはありません。
この「解禁」以降、見える素人・玄人に囲まれる機会が増え今に至ります。