今年は12年に一度だけおとずれる「三寅の日」を味わえます。
寅の年、寅の月、寅の日のことを指しているので、正確に言うと今年は2日、多い年で3日あるのですが、私は「ミトラ」という神様を知ってから、3つ寅が揃うこの日を「ミトラの日」として、勝手にワクワクと、少し怯えながら待っていました。
ミトラ神
ミトラ神とは古代神です(ざっくり)。
ミトラとかミスラとかミトラスと呼ばれています。
もともとはインド、イランのかなり古い神で、ミトラ教はローマにも広がりました。
「クリスマス」の元は「ミトラマス」という冬至のお祭り、太陽神ミトラスの復活を祝うお祭りが元になっています。
弥勒菩薩(マイトレーヤ)の元はミトラと言われていますし、調べ出すと色々なところに「元(もと)」として出現します。
しかし、成り立ちがはっきりしない謎の神様です。
でも、だからこそ、なんだかすごい神様な気がするし、宇宙に一人(ひとつの方が近いかも)の絶対神がいたとしたら、ミトラかな、とか、ミトラ=天之御中主神なのかな、と私は思ったりします。
天之御中主神 日本の神様の系図の一番初めにいる神様です。
こちらにちょっとミトラのことを書いています。
ミトラな祭り?
信貴山朝護孫子寺の寅まつり
ある時、私は奈良県の信貴山朝護孫子寺の寅まつりの存在を知り、何となく怪しく思い始めました。
寅まつりは、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に聖徳太子が毘沙門天を感得したことに由来しているのですが、なぜ寅の年の寅の月の寅の日に?と気になります。
三寅ではなく四寅ですし、弥勒ではなく毘沙門天ですけど。
京都の鞍馬寺にも、寅の月、寅の日、寅の刻に毘沙門天さんが現れています。
寅は毘沙門天の使いだそうです。
毘沙門天さんは寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に誕生されたそうですが、寅の年・・・十二支で年月を数える発想が中国か日本的です。
多分元はインドの神様でしょうから、いつから寅年生まれになったのでしょう。
話が逸れましたが、三寅の日に(四寅ですって)聖徳太子、という点に、直感的に怪しさを感じました。
三寅の日にミトラ関連の何かが行われているのでは・・・・・・?
あくまでも個人的主観です。
寅のそろう日に、秘儀が行われているかもしれません。
大酒神社の牛祭
京都太秦に広隆寺というお寺があります。
ご本尊は聖徳太子ですが、元々は聖徳太子から秦河勝が賜った弥勒菩薩をご本尊としていたそうです。
それが有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」なのかは分かりません。
その広隆寺に大酒神社という神社があります。
御祭神は秦始皇帝、弓月王、秦酒公で、要は秦氏の祖神を秦氏が祀った神社です。
この神社に牛祭という、京都三大奇祭の一つとされているお祭りがあります。
旧暦9月12日の夜に行われていたことお祭りは、「摩多羅神(またらじん)」という牛に乗った神様が、四天王(赤鬼と青鬼)と練り歩き、意味不明な祭文を読むというものです。
「摩多羅神」は源信さんという、平安時代中期のお坊さんが勧請したとされています。
この「摩多羅神」というのが何なのかが詳しくわかっていません。
祭文が意味不明、という点も、奇祭らしく興味をそそります。
単純に『マタラ』という響きだけで「ミトラじゃん」と私は思ってしまいます。
ちなみに「摩多羅神」は牛に乗ってやってきますが、ミトラも「牛を屠る(ほふる)」ということで、牛にまたがっていることが多いようです。
そのゆかりの神社などから、秦氏は呪術的にいろいろな知識を持っていたようなので、この人たちに関係している神社で『マタラ』だったら「それフツーにミトラで良くね?」と思ってしまうのです。
謎な人たち+謎な神ってしっくりくるという私の単純な思考回路からです。
ミトラを祀りたくなる理由などはわからないのですが、千年以上前は、今よりもミトラのことを知る人は多かったかもしれないし、今よりも文献に残っていたかもしれません。
ミトラでないならば、マタラ……マダラ……斑……ニャンコ先生!?
ニャンコ先生、まさか「摩多羅神」が元!?
ミトラがマタラ→マダラ(斑)=ニャンコ先生に姿を変えていたら、布教よりもよっぽど一部の方々に浸透しています。
そして愛されています。
友愛の神ミトラとしては本望なのではないでしょうか。
でもまあ、ないでしょうけれど。
不思議な夢
ある時不思議な夢を見ました。
ちょうど「ももプロジェクト」の資料を読んでいる時で、それは熊野でのチャネリングの際に、玉を持った人たちが8人いるということが分かる部分でした。
その資料を読み、私は
「玉かぁ。自分は見えないし受け取れないし、その8人じゃないよな~。」
と思った瞬間、眠気もないまま突然寝たのです。
すると、真っ白な世界に少年が衣冠束帯姿で立っていました。
どう見ても元服前の10歳11歳くらいの、西洋人ではない、でも東洋人とも言い切れない少年が、「君には玉ではなくてこれだよ。」と言い、私が左手を見てみると、青いきれいな石のようなものが手の中に浮いていました。
そこで目が覚めて、今寝たな、と分かったのですが、その成人男性の格好をした少年のチグハグないで立ちと、「無」な雰囲気の中にある柔らかい物言いと、強烈な「圧」にあてられた感じで、私はしばらく放心していました。
我に返って左手を確認したのですが、当然何も見えるはずもなく。
しかし印象的だったので、すぐに霊査コンサルタントであるももさんにこのことを報告したら、「それはいかにもミトラがやりそうなことだ。」と言われました。
この時の口調と、少年の姿で現れる、というのがミトラっぽいらしいのです。
ちなみに、ももさんは毎年「ミトラマス」をしていて、ミトラの使いの天使からメッセージを受けています。
ミトラが直に、ということはめったにないそうですが、数年前ミトラからメッセージを受けていました。
私がこの夢を見たのは12月のミトラマス前のことでした。
年末はメッセージを受けやすいらしいです。
もしこの夢の少年がミトラだったら、いや、ミトラではなくても、この青い石のようなものの正体を知りたいです。
今もあるのかどうかもわからないのですが、例えるとちょうど『天空の城ラピュタ』の小さな飛行石のようなものです。
アクセサリーではなく、ラピュタ本体を持ち上げている飛行石、の小型版のようなもので、きれいなので、願わくは今でも持っていたい。
いつか “見えそうな” 方にこの話をして、まだ私が持っているかを含め、これが何なのかを聞いてみたいと思います。
この少年がミトラではなかったとしても、寅年、寅の月、寅の日の「みとらの日」に、このようにミトラについて考え、ミトラに思いをはせるように仕向けているのはミトラ神かもしれないですね。